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2025-07-09: この一年半であったことと、これからの予定-英語力ということ

今日も疲れたので、ビールを一杯飲みました。やっぱりお酒が苦手で、カルピスの方がいいですね。

前回は、転勤の話をしました、その機会では、英語で面接を受ける必要がありました。

英語が必要だったのは自己紹介だけで、技術や仕事の話は中国語でも大丈夫でした。もちろん、英語ができればさらに良かったです。

英語の自己紹介を用意して、何度か練習しました。

普段は英語を話す機会があまりませんでしたが、大学の時にチェスクラブに参加しました。チェスは少し興味がありますが、クラブに参加したのは主に先生のためです。

先生はアメリカ人で、私たちの外国人の先生です。一年生の時は、毎月一回先生の授業がありました。先生は楽観できな人で、いつもニコニコしていました。

始めての授業で、先生かからチェスクラブのことを知りました。また、先生はチェスクラウの指導教員です。

先生はみんなにチェスクラブへの参加を進めました。そして、私はチェスクラブに参加しました。毎週のクラブ活動では、先生と話しましたが、主に先生が話、私たちは聞いていました。

これは私の最初の英語での会話体験でした。

クラブには二年間続けましたが、先生と話す機会は少なかったです。でも、本当に役に立ちました。

二年生の時、クラブの宣伝部の部長になりました。実は、私も宣伝の初心者でした。

どうして私が宣伝部の部長になかったのですか?

それは、先輩たちは学業や就職のために全員退部したからです。同期のみんなもだんだん諦めていきました。多分チェスは難しかったのでしょう。先生は中国語を話せなかったので、理解できなかったのでしょう。結局、クラブは5人だけが残ろました、私はその5人のうちの1人です。

私は英語の簡単な翻訳もできたので、宣伝部の部長になりました。先生の話を翻訳して、みんなで会話ができるようになりました。

でも、先生は家庭の事情でアメリカに帰国し、半年後に戻ってきました。翻訳する機会は、10回くらいあったと思います。

その後、英語を話す機会はなくなりました。三年生の時、開発技術を学ぶため、英語の原書の技術書を三冊読みました。英語力が一気に伸びました。

中国には「大学生英語六級(CET-6)」という全国の統一の英語試験があります、私はほとんど準備をしなかったのですが、合格することができました。

卒業後は英語を話す機会も少なくなりました。読むことや聞くことは、主に技術や映画、ドラマなどに限られていました。

正直に言うと、英語で面接にはあまり自信があります。面接の前にもとてもドキドキでした。

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