はじめり
2026年3月6日、金曜日。3月、ようやく、
日本へ行くための長い準備に句読点が打たれた。
去年の7月から今日まで、一歩ずつ、手元
にあるビザの重みが、新しい生活の始まり
を教えてくれている。
先週の金曜日、書類を託した。それからの 数日間、不安という霧の中にいて、私は ただ立ち尽くしていた。日記を綴る気力 さえ失っていたのだ。気がつけば、 カレンダーはもう3月9日を指している。
張り詰めいた糸が、ぷつりと切れたような 解放感。受領したビザを何度も見返して、 ようやく自分の幸運を信じることができた。
航空券を手にし、この国ですべきことはすべて やり終えた。あとは4月2日、海を渡るだけ。 その最後の一歩を踏み出すときを、静かに 待っている。
不安の理由
この一週間、どうしてあんなに不安だったん だろう。全部準備はできているはずなのに、 何だか落ち着かなくて…。
スマホの画面を何度もリロードしても、 「手続き中」の四文字が冷たく居座っている。 SNSを覗けば、同じ迷路に迷い込んだ人たち の声。それらに触れるたび、私の不安は 雪だるま式に膨れ上がっていった。
学校の先生から「本校の学生のビザ取得 率はこれまで100%です」と伺っていましたが、 それでも不安を拭いさることはできませんでした。
32歳。再び「学生」という名札をぶら下げる ことに、私はひどく気後れしていた。 自己資金も、N2の合格証も、手元 には全て揃っている。万が一、電話での確認 調査があったとしても、簡単な受け答えが できる程度の日本語力は備えていました。
客観的な条件は完璧 なはずなのに、心の中にだけ、ぽっかりと 自信の欠片が欠落していた。
あの不安には、半年の努力が無駄になる 怖さとが、先が見えない焦りも混ざったんだ。 もしビザが下りなかったら、三ヶ月は同じ 理由で再申請できないっているルール もあったしね。
仕事も退職しまたので、今から国内で新しい 職を探すのは、決して容易なことではありません。 万が一を考えると、もう後戻りできないという 強いプレッシャーがありました。
本日、食事中に代行から「合格」の通知 をいただき、食事の手を止め、画面を 凝視する。「合格」の2文字が網膜に焼き付いた 、長い間、胸の奥に居座っていた重たい石が 、すとんと足元に落ちた。その音さえ聞こえた 気がした。
SNSの誰かが呟いていた、あの焦燥は代行会社 が仕組んだ、ありふれた営業戦略にすぎないと。 真実の書類さえあれば、結末は最初から約束 されていたのだ。踊らされていた自分と思うと、 少しだけ可笑しかった。
あ、もう一つ言うと、私の代行さんは全然 不安を煽ったりしなかっただ。資料をたくさん 準備したんだけど、チェックした後に必要 なものだけ受け取って、いらない分は返して くれたよ。
AI 指導
32歳からの日本留学:ビザ取得までの不安と、ようやく手にした合格通知
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